秋田内陸縦貫鉄道 のりものまつり(2/3)
更新日2012年6月1日

○「日産リーフ」の試乗会

 阿仁庁舎前の会場で体験試乗コーナーを出展していた羽後日産モーター(株)大館店の方に,イベントが始まる前にお話しを伺った。

 このあたりの地区でのEVへの需要について、充電器などインフラが無い状況で正直なところどうなのか、伺ってみたら、遠出するなら行く先々で充電器はあるし、家にいる時はだいたいのお客さんには充電器を設置してもらうので、日々の生活には困らないのでは、との回答だった。実際、大館市内ではすでに10人くらいがリーフに乗っているとのことだ。

 お客様の反応は、燃費がいい、ガソリンが高いので電気で走るのはいい、という理由の他に、2011東日本大震災の時にガソリンがなくて給油できず混乱したが、電気は24時間以内に復旧したので電気自動車は走ることができ、そのことでも関心が高まっている出傳があると思う、とのことだった。
 また、このイベントでは商談までは考えていないそうで、試乗していただいてまずは知っていただくこと、そして試乗された方々に話を聞いたりアンケートなどで反応を聞くことが目的だとのことだった。
 イベントがスタートしてからしばらくして、阿仁庁舎前の会場に行ってみると、次々と試乗に出発していて、さらに数組の方が試乗待ちをしている状況で、活況だったようだ。
 


「日産リーフ」が会場に運ばれてきた


試乗に出発

○秋田内陸縦貫鉄道 酒井社長のコメント

 2011年12月より、公募により就任した酒井一郎社長は、元は百貨店「豊田そごう」常務取締役店長という経歴を持つ。「豊田そごう」閉店後は広島そごう総務部長、豊田スタジアム副社長を歴任している。
 今回ののりものまつりの企画についてなにかヒントがあったのか尋ねると、催事を仕掛けたり、飲食・物販コーナーを設置したりといったことは「百貨店経験者、流通小売業であればお手のもの」と笑う。
 酒井社長は「昨年度は経常損失を2億6,000万円まで削減できた。今年度は2億円以内とすることを目標としている」と話している。そのためには、さまざまな収支改善に取り組んでおり、このイベントも来場客数の増加を図る一環である。イベントのほかに、地元食材の馬肉を使ったレトルトシチューの販売なども進めているという。委託販売にするとコストがかかるため、当面は秋田内陸縦貫鉄道Webサイトのオンラインショッピングで販売する予定だという。


○阿仁伝承館 〜鉱山の歴史を持つ阿仁

 阿仁鉱山は、1309年(延慶2年)に金山が発見されたといわれており、阿仁地区には小沢銅山ほか5つの銅山(「阿仁六カ山」を阿仁鉱山と総称)が開発された。1701年(元禄14年)に銅山直営化(秋田藩営化)を経て、1708年(宝永5年)の銅・鉛を合わせた産出高は360万斤にのぼった。1716年には当時の佐竹藩直営のもと産銅日本一を記録したという。1773年(安永2年)、秋田藩では平賀源内を招聘して鉱山技術指導を受け、翌年には米代川の支流阿仁川と藤琴川の合流点に加護山製錬所を建設している。1871年に秋田県庁の経営となり、その後工部省鉱山寮の経営となり、1885年には古河阿仁鉱山に払い下げられた。1900年代前半には世界恐慌で動の価格が暴落して一時休山となるが、新たに金山が発見されるなどで採鉱が開始された。しかし、1970年に操業が中止され、1978年に閉山となった。

 1879年(明治12年)にはお雇い外国人としてドイツから技師としてメッケルとライヘルを招いた。その官舎として「異人館」が建てられた。現在、異人館は国の重要文化財に指定され、公開されると共に、その隣に鉱山の資料保存と伝承を目的とした「阿仁伝承館」が建てられている。この2館は「のりものまつり」の第2会場となっていた役場のすぐ近くに位置している。
 赤煉瓦づくりの「異人館」に合わせてか、「阿仁伝承館」も赤煉瓦に三角屋根が印象的な建物である。ただ、エントランスに「なんこ鍋」(馬肉を煮込んだ郷土料理)の幟を立てていて、レストランか土産物の風情となり資料館としての趣が薄まってしまっている印象だ。

 伝承館に入ると、右手にガラス張りになっている事務所があり、受付を兼ねている。左手には「なんこ鍋」のレトルトほか土産物が置かれている。資料室に入ると、ガラスケースにさまざまな資料、写真、採掘された鉱石などが基本的に年代別に置かれていた。正直に申し上げて、展示が雑然として資料が系統立ててまとまっていないため、学芸員が入っていないのでは、という印象を受けたが、それでも現在では見ることができない産業遺構を知ることができた。

 資料室の入り口には2008年にここで開催された鉱山フォーラムのポスターが貼ってあった。経済産業省 近代化産業遺産認定記念ということで、保存と活用についてパネルディスカッションなど行われたとのこと。興味を引かれたため、受付の男性にフォーラムのことをまとめた資料などがないか尋ねたが、さっぱりわからないようで、市の方に聞いて欲しいと、とまどったような反応の回答だった。また、かつてあった6箇所の鉱山の配置がいまひとよくわからなかったため、現在の地図と重ね合わせたものがないのか尋ねたら、廊下に貼ってある、墓地や火葬場が手書きで書かれた古い地図の前に連れて行かれ、地図というとこれくらいしかない、との回答。たとえば阿仁合駅や役場、幹線道路との位置関係などがわかるとイメージが掴めてよかったのだが、この地図ではなにもわからなかった。なぜこのあたりにこんなにたくさんの火葬場が点在しているのか、という謎だけが残った。

 伝承館から異人館へは、地下道でつながっていた。急な階段を下りて細い地下道を通りぬけて異人館に入る。お雇い外国人でドイツ人技師のメッケルとライヘルが過ごした官舎である。2人が帰国した後は政府高官や鉱山関係者の娯楽施設や迎賓館として使われたという。ルネッサンス風ゴシック建築で、四囲に巡らしたベランダはコロニアル・スタイル、切り妻の屋根、アーチ型の窓、鎧戸、レンガ、と異国情緒漂う建物である。

 当時使われた?ビリヤード、デスク、ピアノなどが置かれているが、特にこれといった説明はない。細い階段を上って2階(屋根裏)へ行くと,当時の照明器具や時計などを展示している。とくに見るものもなく、外に出る。外観が美しい建物だけに、中には少々拍子抜けだった。資料性は充分にある施設なのだから、活用方法をもう少し考えてみたらよいのでは、との印象を受けた。


○いま鉱山の跡地はどうなっているか

 鉱山の跡地は、世界遺産に指定された島根県の石見銀山はもとより、当ホームページでも過去にたびたびレポートで取り上げてきた「マインパーク」、鉱山記念館など、観光施設になっているところも多いが、阿仁の鉱山は特にそのような施設にはなっていない。では跡地が現在はどのようになっているのかぜひ訪ねてみたく、クルマを走らせた。

 阿仁合駅の近くには「阿仁銀山」の標識があったが、街中だったため具体的な場所がどこなのかはわからず、そのままGoogleマップを頼りに、まずは阿仁合駅から比較的近いと思われる「阿仁真木沢鉱山」に向けてクルマを走らせた。しかし、特に跡地や施設は見つからず、ここは諦めてやはり近場にあると思われる「阿仁小沢鉱山」を目指して進んだ。ここは1637年発見された銅山である。国道105号線を途中で逸れ、山を進む。北秋田市立しょうぶ園を通り過ぎると二股道となり、山を登っていく細い道に入ると、小沢鉱山の跡地があった。コンクリートの塊が残るばかりの、まさに廃墟である。その脇にはさらに細い道があり、クルマを止めて徒歩で登ってみると、少し進んだだけで開けたスペースに出た。草ボウボウで錆び付いたなにかの機械がころがっていて、かなりの年数の間、全く人の手が入っていないことがうかがえた。
 その他の鉱山跡地は見ることができなかった。地図上に○○鉱山と書かれているあたりを通ってみても、ただ山があるばかりで、その奥に入ること手段がわからず、断念した。


○大館能代空港

 阿仁鉱山の次に寄ったのは大館能代空港(あきた北空港)である。道路案内では、「道の駅大館能代空港」との表示も見られた。ターミナルビルや駐車等の設備を空港と共用しているようで、そのためか駐車料金は不要であった。現在、朝夕の羽田往復便のみの運航に使われている。

 大館能代空港は、98年の開港後、ピーク時には年間約17万人の利用があったが、減少が続き2008年度は約12.5万人/年まで落ち込み、現在は東北地方で利用客が最も少ない空港である。このため、国の地方空港への財政支援議論のなかで、赤字の代表のように報道されてきた(10億円規模に達するという指摘もあった。(http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_2895.html

 これに対して地元では、

 ?大館能代空港利用キャンペーンとして片道5,000円の運賃補助(能代市、三種町、八峰町、藤里町等)
 ?大館能代空港着・発便を往復で利用し、翌日以降に大館能代空港の営業所(もしくは送迎先店舗)へ返却される場合に、最初の24時間の利用料金が1,000円となる「1,000円レンタカーキャンペーン」
 ?空港を利用した修学旅行に、学校と空港間の送迎バス1台片道3万円(往復利用6万円)の助成
 などの利用活性化策に取り組んでいる。

 筆者が空港に入ったのは、着陸も離陸もない昼間の時間帯、当日は土曜日であったが、職員以外の滞留者の姿はほとんど見られず、空港ターミナルは閑散としていた。それでもレストランやショップは開店している。道の駅だから、エアライン以外での、我々のようなドライブ客への利便性に配慮しての営業かもしれないが、経営的にはしんどい状況であろう。

 率直に言って、それまで見聞した秋田縦貫鉄道の方が拠点や日常性が高い分、まだ何とか増収に向けてのやりようが残されているし(http://www.akita-nairiku.com/doc/20120602aikawa_harumaturi.pdf)、沿線には当事者が(当事者ゆえに当たり前になってしまい)見逃している集客資源がまだ残っているように思う。

 一方、空港は単一拠点商売だから、鉄道のようにオプションを付けにくい。空港へ誘導・リピートさせる理由や市場が飛行機の利用以外に見当たらない以上、現状維持を継続せざるをえないという状況なのである。さらにいえば、空港の事業体である地元(大館能代空港利用促進協議会)は当事者意識を持てるが、東京便を運行する全日空にとっては、空港がどうのこうのよりも、フライトにどれだけの収益が見込まれるかであろうし、他の地方空港でも同様の状況を抱えている以上、大館能代空港だけにテコ入れするわけにはいかないだろう。

 地域経済全体の底上げや活性化が進まない限り、あるいは過激な市場経済論理で公共を分解する(民営化する)志向が続く限り、日本の地方空港の将来はかなり厳しいのは事実だろう。しかしそれは、鉄道も含めた公共交通の危機の進行でもある。高齢化・人口減少は刻々と進んでいる。行政も地元経済界も、高速道路・空港・新幹線・地下鉄ぜんぶ欲しい時代はすでに終焉している現実を直視しなければならない。


○北秋田に足を運んでみませんか

自らクルマを運転できない、クルマが保有できない、クルマを運転する自信がない・・・等の事情により、乗合による公共交通のサービスを希望する生活者は、少数でも確実に増加している。だから、交通インフラは、経済性や収益論だけで将来を決めていくのは早計である。本サイトを見れば容易に想像できると思いますが、筆者は自動車産業との関わりが深く、自動車を知ればこそ、このような認識を強く持つようになった。

 さて、天候に恵まれた2012年初夏(当地では春本番)、北秋田地域の取材で、そこに人の生活と文化が継続する限り守らなければならない資源があり、一方で、地域や日本経済の再生(復活)が国土全体に及ばない「失われた時代」を早期に解消する戦略がなければ、資源は自然に還ってしまう現実が迫っていることを痛感した。

 秋田内陸線では、2,000円で土日祝日に1日乗り放題となるホリデーフリーきっぷを発売している。また秋田新幹線と連携した「こまち乗り継ぎフリーきっぷ」もある。(http://www.akita-nairiku.com/info/pticket/

 これからも機会を見つけて、内陸線のカラフルなDCに乗って、阿仁の町を訪れようと思う。南国出身で豪雪の経験がなくても、冬期の阿仁合駅前に立ってみようと思う。映画「マタギ」のスクリーンで見えていた自然の世界で呼吸してみたいと思う。











阿仁伝承館。この中に鉱山の貴重な資料が展示されている



お雇い外国人の官舎だった異人館





















阿仁小沢鉱山の跡地。まさに廃墟



廃墟の上部はただ空き地が広がる


錆び付いた機械類が転がっている



















大館能代空港



大館能代空港の降車場・タクシー乗り場。発着時間ではないので、人っ子一人いない



大館能代空港の駐車場



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