(2)深川江戸資料館−1

【施設概要】
●施設名:深川江戸資料館
●運営主体:財団法人江東区地域振興会(江東区役所の外郭団体)
●所在地:〒135-0021 東京都江東区白河1-3-28
  03-3630-8625
●完成:昭和61年11月
●構造:鉄骨鉄筋コンクリート造り  地上4階・地下1階
●機能:総合展示室、企画展示室、導入展示室、
  レク・ホール(多目的ホール/定員200名)、小劇場(江戸和風造/定員300名)
●建築面積:2,646.5平方メートル
●敷地面積:2,001.81平方メートル
●展示室観覧料:大人(高校生以上)300円(20人以上の団体200円)   小中学生50円(団体30円)
●開館時間:展示室 午前9時30分〜午後5時
小劇場、レク・ホール 午前9時〜午後10時
●休館日:年末年始、第2・4月曜日
●江東区のオフィシャルページ:
http://www.city.koto.tokyo.jp/~bunkazai/
または
http://www.baynet.ne.jp/~l-koto/sisetugaiyou/edo/edoshiryoukan1.html
図1 深川江戸資料館の場所
(画質が悪くて申し訳ありません・・・)

 施設ネーミングに採用された、「深川」は東京都江東区にある。世田谷や目黒等の山の手と比較すれば、長屋的な建物が多く、下町風情を感じさせる街で、時代劇はもちろん、『前略・おふくろ様』など、何度か人気テレビドラマの舞台に取り上げられた“由緒ある”街である。

 深川江戸資料館は、そのネーミングのとおり、「江戸の深川」を再現した施設であり、当時へのタイムスリップ感が充足されるよう、実大資料として往時の長屋、舟宿、火の見櫓等の建築物を再現した。さらに、“巨大な張りぼての時代劇ロケセット”と異なるのは、再現した建物に様々な当時の生活で使用していた道具類を設置。見学者は、実際に建物に入り込んで、こうした道具類を手にして、「八っつぁん熊さん」気分を味わえるという、来場者とのオープンなコミュニケーションが特徴となっている。
 さらに、当時の生活の再現は、照明による朝〜昼〜夜の時間の推移や、そこに登場したであろう様々な生活音の音響演出等によって演出されている。実際に長屋の4畳半に寝ころんでいると、江戸っ子気分が十分に味わえるというものである。

●江戸時代後期の深川を再現

 さて、施設のコンセプトを紹介する前に、基本知識として江戸時代における深川の位置づけをざっと整理しておこう。
 江戸時代は、1603年(慶長8年)に徳川家康が征夷大将軍となり、江戸市街を拡大、日本橋を修造してから、1867年(慶応3年)の大政奉還までの約3世紀270年で、政治的・文化的に前期(1600年代)・中期(1700年代)・後期(1800年代)に大別できる。前期は江戸幕府の基盤づくりとなった時期で、鎖国令や武家諸法度等のシステムが次々に打ち出された。また島原の乱や由井正雪の乱等の内乱も相次ぎ、武断政治によって支配を確立した時期でもある。これにより、社会の安定がもたらされ、文治政治に変わると、上方や比較的富裕な町人層による元禄が訪れたのが中期である。その後、享保の飢饉や天明の飢饉等によって幕府の改革政治路線が定着し、文化の拠点は江戸に集中し、その担い手はの庶民となった。これが化政文化の華が咲いた後期であり、そのまま幕末の動乱を迎えることになる。

 テレビの時代劇ではここまで詳しく時代設定を考証しないが、最も取り上げられる時期は元禄であり、赤穂浪士や徳川綱吉(生類憐れみの令)・松尾芭蕉、近松門左衛門、紀伊国屋文左衛門等馴染みのキャラクターが勢揃いする。このように、普通の日本人にとっての「江戸時代」は元禄なのである。

図2 立体構造図



図3 土地利用図



図4 地下1階(総合展示室)平面図

 さて、江戸幕府の安定とともに、文化・経済の江戸への集中が始まり、急速な大都市化が進むわけだが、そうなると人が住む場所が不足する。そこで、埋立事業による宅地開発を行うのはいまも当時も変わらないわけで、まず適地として選択されたのが隅田川(大川)の対岸にあった深川地区なのである。時期的には、明暦の大火(1657年)後に活発化した。埋め立てと掘り割りの開削を主とする開発は順調に進み、幕末には木場、越中島までの広い範囲に都市が形成された。日本橋や神田、銀座といった江戸市街地に近く、大川の海運(当時の物流は海運が主力で、例えば秋刀魚などは銚子から利根川−隅田川経由で江戸に届けられた)に恵まれていたことから、倉庫業や問屋、材木屋(つまり「木場」)が集積、そこに働く職人の町屋が形成される。また、富岡八幡宮や永代寺・三十三間堂等の寺社があり、その門前町を中心とした行楽地としての賑わいを見せていた。こうしてみると、郊外化達成には、この時分から賑わい(行楽)+生活+物流動線という要件が確立していたようでもある。規模的に見ると、現在の江東区の雛形が既に完成していたのに驚く。

 その幕末の深川、時は明治維新のわずか20数年前、天保も終わりを迎えた頃(1842年)の江戸・深川佐賀町下之橋の橋際一体を、当時の沽券図(こけんず:土地家屋の間口・奥行に価格・地主名・家主名等を記入したもので、売買時の参考価格となった)を参考に再構成し、典型的な情景に集約し実物大のスケールで再現したのがこの資料館である。つまり、江戸≦深川であり、当時の深川コミュニティの認知を通じて江戸後期の庶民文化を認識できるという仕組みである。
 なお、再現に際しては、資料の分散や不足によって景観検証に苦労したという。というのも、浮世絵や屏風絵等に比較して、下町・深川の景観を留めた図画類は『隅田川風物屏風』(鳥文斎栄之)、『隅田川両岸一体』(葛飾北斎)等、存在が限られてしまうそうだ。

●4階建て、展示室とホールで構成

 入口・受付カウンターは1階であるが、建物の外からは階段を上がっての位置だから、正確には中2階のような位置である。ここで入場券を購入し、実物大の町並みが再現された地下の総合展示室に向かう。計画では、次のような動線が設定されている。

図5 1階平面図

図6 2階平面図
図7 3階平面図
図8 4階平面図


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