細倉マインパーク


                        
                        目  次
   1.施設データ
   2.設立背景
   3.施設構成
   4.アプローチ
   5.観光坑道「アドベンチャーゾーン」
   6.観光坑道「タイムトラベルゾーン」
   7.ドームゾーン
   8.まとめ


1.施設データ
 所在地:宮城県栗原郡鶯沢町南郷大竹2-87
 坑道長:777m
 観覧所要時間:約1時間
 開館日及び閉館時間:火曜定休、9:30〜17:00
 駐車場:乗用車500台、バス15台
 年間入場客数:約75,000人
 交通:東北自動車道築館ICから車で25分
     東北自動車若柳・金成ICから車で30分
     JR東北新幹線「くりこま高原」駅から車で35分
     JR東北新幹線「くりこま高原」駅から「くりでん沢辺」駅(シャトルバス)15分
     「くりでん沢辺」駅から「細倉マインパーク前」駅(シャトルバス)28分
     くりはら田園鉄道「石越」駅から「細倉マインパーク前」駅44分
 料金:

区分

大人

高校・中学生

小学生

観光坑道

900円

750円

600円

砂金採り

800円

700円

ドーム
ゾーン

マウンテンコースター

300円

シミュレーションシアター

700円

500円

ゴーカート

500円

イノセントファンタジー

幼児のみ 100円

スライダーパーク

500円

      ※観光坑道、砂金採りは団体割引あり
 取材日:2000年10月5日
 ホームページ:http://www.hosokura-minepark.co.jp/



2.設立の背景

 細倉マインパークの立地する鶯沢町は、宮城県の霊峰「栗駒山」を背に抱く、自然豊かな町である。豊富な鉱脈の恵みにより、約1200年にも及ぶ鉱山の歴史がある。鉱山資源以外では、平安期の「前九年の役」の戦場だったという歴史がある。このときの、源頼義が苦戦しているとき、一羽の白い鶯が現れ、戦勝に導いたという白鶯(はくおう)伝説が、町名の「鶯沢」の地名の起源となっている。

 9世紀に発掘された細倉鉱山は、鉛、亜鉛の鉱山として、日本有数の名鉱であった。鶯沢町も鉱山とともに発展し、そのピークは昭和30〜40年代の高度成長期である。その後、円高やコスト上昇、産業構造の転換などエネルギー変革の波に押され、ついに昭和62年(1987年)にその長い歴史に終止符を打った。すでに鉱山の前途が危惧された80年代からは、町の存亡をかけて、閉山を前提としたその後の資源利用の必要性が問われていた。その結果は、観光資源としての再利用である。事業化に向けて、先行オープンしていた秋田県の尾去沢鉱山跡「マインランド尾去沢」を参考に、マインパーク化を計画。平成2年(1990年)に「細倉マインパーク」としてオープンしたのである。運営は「株式会社細倉マインパーク」(鶯沢町が株主)による。

 ■細倉鉱山年表

できごと、その他

806876

細倉鉱山発見

15731591

山師・高橋仲作、勝袋において採掘

1591

伊達政宗、岩出山に入城

1667

細倉鉱山産は銀、やがて鉛の山としても注目される

1775

伊達藩の鉄山(直営)となる

1872

「鉱山心得」公布、鉱山は全て明治政府の所有となる

1890

日本鉄道株式会社線「石越駅」まで開通、細倉鉱山会社創立

1899

高田商会、細倉鉱山を経営

1914

高田鉱山馬車軌道「駒場」〜「沢辺」間開通

1915

高田鉱山馬車軌道「石越」まで延長

1928

共立鉱業株式会社、細倉鉱山を経営

1940

鉱業所となり、製錬は亜鉛、鉛の二課となる

1942

栗原軌道、「岩ヶ崎」〜「細倉」間開通

1945

空襲により、操業を停止、第二次世界大戦終結

1951

鶯沢町町制を施行、硫酸工場施工

1969

7月、出鉱量7万トンを達成

1973

三菱金属株式会社と社名変更

1976

三菱金属より分離し、細倉鉱業株式会社として再出発

1981

鶯沢町鉱山資料館開館

1987

3月、細倉鉱山閉山。開鉱以降粗鉱出鉱量約2,300万トン

1990

「細倉マインパーク」がオープン


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