1.施設整備の背景 
 事業多角化を目指し観光事業に参入

 「ゴールドパーク串木野」が開業したのは、昭和63年(1988)である。これは、鉱山の運営会社の三井串木野鉱山の経営の多角化を目指したものである。
 実は、この串木野金山は廃鉱山ではない。金と銀の採掘で現在も操業している。しかし資源はいずれは枯渇するのは避けられず、その際の従業員の受け皿が必要であることから金鉱山資源を活用した集客事業に乗りだした。
 昭和63年といえばバブル全盛時代である。世間では休日が徐々に増え、学校の週休二日制も検討されて始めていた。異業種のアミューズメント事業への参入も増えており、その流れに乗ったということも否定していない。
 これまで、『空間通信』でレポートしてきたすべてのマインパークは、ほとんどが山間地にあって、閉山後に地域活性のために採掘用の坑道を見学できる「観光坑道」として再整備したものである。しかし、小規模ながらも操業を継続している串木野金山の場合、観光坑道として整備された坑道から、現在まだ操業している坑道の様子を鉄格子越しに見ることができるのがウリである。
 オープンから現在まで、増設などの変更はなく、ほぼ当時のままである。当初は2期計画、3期計画として駐車場や付帯施設の整備等の構想もあったが、バブルが終わり昔話と化している。

2.現況 
  団体客誘致で冬季の集客が増加

 入場者数は平成13年度で10万5000人となっている。オープン初年度は約40万人の入り込みがあったが、現在は4分の1近くにまで減少している。
 客層は団体客が多く、7万人を占めており、そのためか鹿児島県内や九州地域からの入込よりも遠方からの入場者が増えている傾向にある。平成13年度は関東から2万5,000人が来園している。
 一般客の集客は困難になってきていることから、団体集客にシフトしている。これが効を奏し、減少しているとはいえ、安定した集客につながってきてはいるようだ。
 入り込みのピークはGW、夏休み、正月の帰省客が中心だが、実は、団体集客のメインは冬季なのである。串木野市からバスで75分ほど行った出水市は、国の天然記念物に指定されているツルの越冬地として有名で、これにちなんだ「ツル&金の縁起コース」を旅行会社に提案したことから冬場の団体客が増え、シーズンの1〜3月には1万人が訪れるようになった。
 アジア方面からの集客は、韓国よりも香港からの客が多い傾向にある。

3.運営 
  金相場動向から現在は休業中

 ゴールドパーク串木野を運営する「串木野金山観光(株)」は三井金属の子会社「三井串木野鉱山(株)」の100%子会社で、完全に民間企業の経営である。
 ちはみに現在、日本国内で操業中の鉱山は5ヵ所あり、その全てが鹿児島県内に位置している。うち3ヵ所が三井系列で、そこに串木野鉱山も含まれている。
 "生きている鉱山"が売りの串木野鉱山だが、実は現在、操業休止の憂き目に遭っている。金の相場が下落して、一時に比べて持ち直しはしたものの、最盛期に1グラム5,000円だった価格が1,300円程度にまで落ちている。金は需給関係を見ながら生産するため、この相場であれば当然原価割れ、採掘量の調整の必要から休業に踏み切った。
 また、鉱山の金そのもの問題、「品位」が落ちてきているという。「品位」というのは鉱石1tあたりの金の含有量を示す。どんな鉱石でも、採掘にかかる労力にはそれほど変わらない。つまり「品位」が落ちても採算が合わないのである。
 こうした逆風下でも、需給関係が改善すればまた儲けも期待できることから、完全な廃坑にはしていない。いつでも採掘が再開できる状況になっているため、「生きている鉱山」がうたい文句になるのである。


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