新刊のご案内

『相互扶助のイノベーション』
失われた10年、失意の20年を受けて
混乱したマーケティングを立て直す
〜自動車販売再編期の活力向上のために〜

■事例3:明知鉄道(1)(概要版)

沿線・鉄道資源から“アイデア即実践”、話題づくりを徹底。高齢者用福祉施設と駅を一体化した新空間を実現〜

〈相互扶助のしくみ〉
  無人駅ながら地域の玄関口を、福祉施設化することで再活性
〈発想〉
  駅空間の他業態への貸与や史実の発見による名所化等による収益拡大
〈特徴〉
  関係先のホームページや地元メディアに継続的に話題を発信、興味関心を刺激
〈体制〉
  専務のリーダーシップと、沿線地域の圧倒的な支持と鉄道を愛する想い


岐阜県恵那市明智町を訪ねたのは2度目のことである。最初は今から十年前、平成の大合併の前のことで、当時は恵那郡明智町であった。目的は当社既刊『レトロの集客活性力』で、同町が町おこしとして取り組んでいる「日本大正村」を取り上げるための取材であった。

明智町が養蚕・製紙産業によって経済的・都市的に最盛期に達したのは大正時代であるが、今もレトロな町並みや町の雰囲気から、当時を想起できる環境が残されている。大正時代を今に伝える各種都市空間を資源に、いくつかの観光施設整備を加えることで、昭和59年から明智町=「日本大正村」としての町づくりが進められている。

今回、十年ぶりに「日本大正村」を歩いてみたが、一部の建築物に現代化が進み、後日整備されたらしいいくつかの集客施設空間にアンチ大正時代の主張が認められたが、概ね変化は小さく、印象深い『渡り廊下のある道』等の名所は時間が止まったようで、以前の記憶をトレースすることができた。十年の時間によって、当時はどこか他人事に構えていた住民にも「日本大正村民」意識が浸透したのかもしれない。現実問題、レトロ資源を維持するのは長い時間と大きなコストが必要で、特にコストを掛けて構わないという当事者の理解と支持がなければ、文化事業であっても収益事業としても成功はおぼつかないのである。ブームに乗って始めた短期集中コスト回収優先型のレトロ事業のほとんどは撤退を余儀なくされているのが現実なのである。

◆昭和の風景を思い出す明智の里

日本大正村の印象から、明智町といえば「里(さと)」を思い出す。「郷」と言うべきだろうか。歴史的に律令制度をはじまりとして、意味もほぼ同じだが、「里」の方が空間的で、「郷」の方が政治的な印象である。いずれにしろ「町」ではない。”明智の里(郷)”という理解が先行していた。里に不必要なものはいっぱいある。

明知鉄道路線図
出典:明知鉄道沿線地域公共交通活性化協議会

ショッピングセンター、ロードサイト業態、やたら駐車場が広大なコンビニなど、モータリーゼーションで生まれた典型的な地方の景観構成施設である。必要なものは実りのある田園、大きな物置に農耕機器が格納され、2×4ではない在来工法(というか昔ながらの)で建てられている家屋、生きている森林、そして非電化単線の鉄道である(ローカル線のインフラで十分である)。鉄道で言えば、土地所有の境界を示すように、盛り土のみで造られた築堤が田畑の中をややカーブしながら隣の里に伸びていれば理想的であろう。これは自分の少年体験(1960年代の九州の地方中核都市で暮らしていた子供が、祖母に連れられ度々訪れた半島にある田舎町の印象)から創出されたイメージであり、期待でもある。21世紀もはや10年が経とうとする今、このような里は消滅し、むしろ90年代の”失われた10年”以降、里の成立は年々厳しい環境に追い込まれているのではないかと感じていた。

◆山林のなか、連続する勾配

十年ぶり、二度目の取材は、JR中央本線恵那駅で明知鉄道の単行DCに乗り換えることから始まった。今回はこの明知鉄道が目的である。取材チームの他は高校生らしき多数の学生で満員となった単行DCは、恵那駅を出発後、恵那の町を何重にも取り囲む深い森に向かって、ディーゼルエンジンをフル回転させながら、ぐんぐんと上っていく。運転席の後ろから窓越しに見ている限り、保線の状態は良く、波打ち立っているようなレール、交換時期を逸したような枕木などは見かけられなかった。また車両もよくメンテナンスされているようで、クリンネスも保たれている。第三セクターの明知鉄道は、他の地方鉄道と同様に、経営的には決して楽でもないだろうが、ハードウェアを見る限り、経営意識は高いものと感じられた。こうして「アケチ型」とネーミングされているDCは、白髪の目立つベテラン運転士の的確な操作により、日本で最も勾配の急な2つの峠をはじめとするアップダウンを快調に走って約50分、田園風景が広がり、民家が増えてくると、いよいよ明智の里である。急勾配に続いて野志駅を出ると、やがてDCは左にカーブしながら徐々にスピードを落としていく。終点の明智駅である。



森の中の勾配を超えると、里の風景が車窓に広がる

前回の取材は立ち寄る機会がなかった明智駅だが、改めて改札を通ってみると、率直に言ってがっかりという空間であった。「大正村」の玄関口としては、極めてあっさりした空間である。大正というか、レトロっぽい雰囲気もない。終着駅からイメージされるような寂寥感もない。まあ無機質な空間である。駅前は鉄道全盛時の規模がそのまま残されているのだろう、駅の規模からしてゆとりのあるロータリーが整備されていた。対してそれほど広くはない駅の待合室には、次の発車で恵那に向かうのであろう、小規模の団体観光客が会話に夢中になっていた。

明知鉄道の本社は、駅構内のいちばん奧、進行方向で言えば明智方にある。車両の整備工場の2階部分がオフィスで、整備中のレールバスを見ながら階段を上っていく。質素ながらもゆとりのある大部屋であった。そこで働くスタッフは、デスクの数に比べるとかなり少ない。少数精鋭がマルチプレイヤーとして、こなせる業務は分け隔てなく取り組むやり方でなければ、収入に限りのある交通事業、しかも第3セクターという公的企業体の経営は難しいのである。

◆11駅、6両の車両、25.1Kmの路線

明知鉄道についてまとめておこう。昭和9年に開業した国鉄明智線をJR化と合わせて昭和60年に第三セクター方式で再出発した地方鉄道である。地名は「明智」だが、鉄道は「明知」を使っている。路線は、JR中央本線恵那駅(岐阜県恵那市大井町)を起点に、恵那市明智町に至る25.1Kmで、開業時の規模を今に残している。岐阜県の東美濃地方の高原地帯を南下する同線には、有人3、無人8の11駅が設けられており、平日13往復、休日12往復、恵那駅でJR中央線との乗り換えに配慮されたダイヤを組んでいる(平成21年度)。全列車が恵那駅〜明智駅を通して各駅停車で運転されており、両駅の所要時間は約50分である。車両は「アケチ型」と呼ばれるディーゼルカーで、6両が配備されている。

沿線の観光地は、明智町の「日本大正村」の他、阿木川ダム・阿木川湖(平成元年完成)、岩村城址(日本三大山城のひとつ、女城主の歴史あり)および岩村町本通り(重要伝統的建造物保存地区、恵那市岩村町)が有名である。


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